2月企画公演 「話芸~沖縄漫談~」
話芸懇談会レポート
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2月2日、旧暦の大晦日、那覇市内、栄町のとある居酒屋で、2月企画公演「話芸~沖縄漫談~」の出演者に集まっていただき、同公演に向けての意気込みや、沖縄の笑いに対する想いを語ってもらいました。新聞紙上にも掲載された、ウチナー芝居そして沖縄の話芸に関する熱い談義の様子をお伝えいたします。
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ここは栄町市場内、どこか懐かしさを残す、昔ながらの市場の裏通り。一軒の居酒屋からなにやらにぎやかな声が聞こえてきます…。 |
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暖簾をくぐると、2月「話芸~沖縄漫談~」の出演者の方々。皆さん、盛り上がっている様子です。
どんな話が繰り広げられているのか、ちょっと覗いてみるとしましょう・・。
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(左奥から時計回りに)知名剛史、座喜味米子、北村三郎、八木政男、幸喜良秀、普久原明
(ひとり置いて)髙宮城実人、川満聡、上地和夫
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● 今回の参加メンバーと出演演目(左奥から時計まわりに) ●
知名剛史:「三村踊り」(昼の部)、「キュウとつまらん」(夜の部)
座喜味米子:「三村踊り」(昼の部)
北村三郎:2月公演「話芸~沖縄漫談~」コーディネイター、司会進行、「赤田門秘聞」(昼の部)、
「三村踊り」(昼の部)、「上り口説考〈旅の出立ち〉」(夜の部)、
「キュウとつまらん」(夜の部)
八木政男:2月公演「話芸~沖縄漫談~」コーディネイター、司会進行、「山猪の化物」(昼の部)、
「はなしの話」(夜の部)
幸喜良秀:当劇場企画制作課長
普久原明:「キュウとつまらん」(夜の部)
髙宮城実人:「三村踊り」(昼の部)、鳴り物(昼、夜)
川満聡:「宮古でGO!」(昼の部)、「宮古でGO!パート2」(夜の部)
上地和夫:当劇場企画制作課専門員
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――― 皆さんは何に影響されて芝居を始めたか覚えていらっしゃいますか。
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川満:私は言葉がきっかけ。両親が宮古だったため、ある時、宮古の芝居をやるからこないかと誘われ幸喜先生方の舞台に出たのが初舞台。当時そんなに芝居に興味があったというわけではないが、やってみると面白かった。それが沖縄を好きだと思うきっかけにもなった。今でも両手が伸びるなら島ごとスキスキ~したいくらい沖縄がすき(笑)。初舞台をそうそうたるメンバーと踏むことができてもっとやりたいと思っていたところ明さん(普久原明)から笑築(笑築過激団)に入ってみないかと誘われて今につながっている。 |
髙宮城:生まれた時から生活の中に芝居があった。うちの親(北村三郎)は、劇団潮で芝居をしていたが、他にも劇団与座やおもと座といったいろんな劇団で芝居をしていて、よく連れて行かれた。そうこうするうちに子役がいないからと芝居に呼ばれ、神童と呼ばれ(笑)・・・。初舞台は3歳の時でだっこされていった。セリフをもらったのは幼稚園の時。幸せなことに、舞台を見ているということに関しては、同世代の中でも自信がある。
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普久原:自分は東京の広告代理店でデザイナーをやっていた。笑築の二代目団長の仲地のぶひでさんが同じ会社で、ある時、面白い芝居をするから観に行こうと誘われた。月曜日に、会社で感想を聞かれて面白かったと答えたら、お前もやるかと誘われて2回目の公演からでている。美術か体育の先生になろうとおもっていたくらいで、自分が芝居をするとは思っていなかった。あの時、本当の沖縄芝居に誘われていたらやっていなかったかもしれない。笑築という、少し変わった、沖縄を風刺した面白い団体に声をかけられたことで興味を持ち、八木先生(八木政男)や平良進さんに勧められて本格的な沖縄芝居に出るようになり、本当の演劇、基礎の作り方というものを教えてもらった。先輩方の情熱を肌に感じながら芝居を続けてきて、沖縄芝居というすごいものをなくしてはいけないと思っている。
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知名:自分は、小さい頃おじいによく芝居に連れて行かれた。今は珍しいかもしれないが、昔の子供はよくあった。近くに普天間の羽衣会館があり、そこによく連れて行かれた。芝居はともかく小遣いやジュースをもらえるのがうれしくていろんな劇団を見にいった。いま大型スーパーなどでやっているキャラクターショーのような感覚。特に大伸座や仲田幸子さんの舞台は、子供でも笑えて、とてもわかりやすくて、舞台に顎をのせてみるほど面白かった。そんなふうに興味をもったのがきっかけになっている。役作りでも大伸座とでいご座には影響を受けている。
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座喜味:米子です。私は幼いころから踊りを始めていたこともありますが、隣が劇場で、学校にあがる前から意味は分からないけどそこの様子を家族に話していたようです。幽霊もののドンドンと鳴らす太鼓の音などを聞くと夜を思い出し、母の許に駆け寄っていくような子供だった。また、うちでは学校に上がるときのことを考えて、私に家族が一切方言を使ってくれなかったのですが、5歳のころ、誰も方言を喋ってくれないから私は大きくなったら方言を使う仕事をするといっていたそう。今になって母が、子供のころ全然日常生活で方言を使ってあげなかったのにね、なんていったりして・・・。幼い頃のそういう思いがあって、今こうしているんだと思います。見る側も本気で笑って本気で泣いて、喜劇っていいなと思う。日常を舞台の中で笑いに昇華させてくれる ようなエネルギーが魅力。 |
―――舞台に立った時、どういう気持ちでやりますか。笑わせようと思っていますか。
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北村:ほとんどないね。一生懸命やるだけ。こちょこちょしてまで笑わせるなと先輩にはいわれた。2回まではいいが、3回も同じことをやるな、くすぐってまでお客を笑わせるようなことはするなと言われたものだ。
八木:(笑わせるというより)楽しませるというのが大事なこと。芝居はお客あってのものだから、お客へのサービス精神は必要。お客と芝居をするという部分もある。芝居のなかでの芝居、ここはサービスしないといけないよ、というところもある。鳩間節なんかで、踊りの時に特に意識的にお客に手を打ってもらう、お客が待ってました、という部分がある。そこに行く前の手を開くときの心得、ちむくくるや所作がある。これは経験によるところも大きいが。
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北村:(うなずいて)照明や太鼓もそのタイミングをみなければいけない。
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八木:明(普久原)にも剛史(知名)にも「キュウとつまらん」でアドバイスをするように、お客をひきつけたら離すなということはよく言っている。離すときは、自分が切れているとき。現実に戻らないコツも大事だと思う。だだし、笑わせる芝居でも熱演しすぎたり、泣かせるものを泣くとお客は泣かなくなる。昔、泣き虫な女優がいて、ハンドーグヮー(「伊江島ハンドーグヮー」)とかをやるとしくしく泣いて、ちむぐりなったよ。熱演しすぎてね。(笑)でもそれだけ打ち込んで役に入るんだと思うと、感心するし負けたな~と思う所もある。芝居は、ぬびちじ(伸び縮み)も大事だよ。 |
―――芝居をしていて、気を付けていることはありますか。
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普久原:一番大切だとおもうのは、セリフを言いながら、今日のお客の反応を、表情を感じながら演じること。仲田幸子さんの舞台で、前口上の時に今日のお客様の特徴をつかみ、場合によっては演目をかえることもある。みんな大慌てです。でも、お客の電波を受け取って、セリフの中でもこのセリフを強調させたらいいのでは、などと判断しながらやる部分は大切だと思っている。
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川満:一人漫談の微妙なところは、この話、と決めていくと合わないことがある。乗らないとおじいおばあが、次々と帰っていく。9割帰ったこともあった。それから、舞台に上がるまでは何を喋るか決めないことにした。「頭のいいお客にはアカデミックな話もできますよ。今日のお客さんには気楽な話ができそうです」なんていうネタにしたりもしてね(笑)。
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知名:ひとつは大宜見小太郎さん、もうひとつは北村先生(北村三郎)の言葉。僕は、はじめは大伸座ですが、当時、小太郎さんに身の程もわきまえず、舞台袖で、「緊張しないんですか」とお聞きしたら、「なまどっくんどっくんそーんどー、ういわすいったー役者やおわりやっさ」(今ドキドキしているよ、これを忘れたら役者は終わりだよ)と言われたこと。もう一つは、師匠の北村さんの「芝居は楽しまなければ終わりだ、自分が楽しまなければ全くおわり」という言葉。楽しむというのは、役に入る、自分に入ることだけじゃなくて、客の反応も含めて楽しむということ。心がけていますが、たまに脱線しますね。失敗することもある。 |
―――県内外で活躍されていますが、県外で公演されて感じることなどはありますか。
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川満:沖縄に興味を持っている人たちに見てもらって、自分の漫談で、こんな芸もあるんだとおもってもらえることはある。
八木:文化座と一緒に公演をしたときに、秋田まで行ったことがある。秋田で、お客は満員。大阪ならわかるが。聞いたら沖縄出身者は3人しかいなかった。でもウチナー口で喋ったらわかってくれてね、楽屋で話したら、言葉の意味は直接分からないが、言葉遣いを聞いて沖縄が想像できるという。
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座喜味:最近八木先生がコマーシャルで話されているセリフを聞いて、県外出身の友人が言葉の味で笑えるといっていました。
普久原:八木さん達がやられるから、味がでる。メロディーがある。いつまでも聞いていられる。
八木:(味というのは、)先輩方から教わってきた、芝居口というものだろうね。
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普久原:笑築は、東京の三百人劇場で年1回公演をやっていた。沖縄の人はほとんどいないので、わかりやすくやろうとおもって、ヤマトグチをメインに変えてアンケートを取ったら、私たちに分かり易いように変えないで、そのままを観たいので分かり易く作り変えないで、という意見があり、それからそのままでやるようになった。
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知名:劇場、それから新聞社にもお願いしたいが、昔演劇大会や脚本大会があって、全部新作で競った時代があった。それで沖縄の芝居は伸びたと思う。その大会の主催を両新聞社にやってもらい、国立劇場おきなわの舞台で、一週間オンエアバトルのように競わせたらどうか。
川満:皆が一つの演目をやっても面白いね。「丘の一本松」をずっとやって「俺は火曜日の良助が一番よかったぜ~」とかベスト投票をやるとか。
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北村:今、ウチナー芝居の日を作ろうとしている。実現したら、そんな企画もできると思う。
髙宮城:劇場には、客席でお客がリラックスできる空間を作ってほしい。咳ばらいでもしんとしてお客が委縮してしまうこともある。芝居は特にお客さんのざわめきが気持ちを盛り上げることもある。
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上地:あまり静かにしなさいというのも、場合によっては劇場側の勉強不足というところもあるが、芝居の楽しさを知ったかぶりで説明したりいろんな人がいるから、かしまさもあるよ。
知名:(説明というのではないが)歌わせきれる役者はすごいんじゃないか。
上地:口ずさむお客さんは芝居好きないいお客でもあるよ。
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こちらから先は、盛り上がった場面なので、続きは動画でお送りします。
変わったお客様の思い出や、往年の俳優達の舞台でのハプニングなどが続きます。
どうぞ一緒に参加されているようなお気持ちでお楽しみください。
※内部記録用として撮影した映像ですので、一部聞き取りにくい音声や、見づらい画面がございます。予めご了承ください。(会話の中で登場する「譲二さん」とは、当劇場専門員で本公演演出の山城譲二)
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――― いかがでしたでしょうか、この後も更に様々な話題が繰り広げられ、すべてはお伝えできないのが残念です。
機会があれば、また今度ということで、参加者の皆さんから、「話芸懇談会」の最後に一言。
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川満:根本的には、ウチナーグチの習得が最大のテーマ。そのための時間も作らないといけないし、演劇も増やさなければいけない。ウチナーグチをどこでどう自分のものにしていくかが今後の課題。ウチナーグチ、芝居言葉の目指せ義務教育化!これを皆さんと実現できたらいいな。
髙宮城:まだもがいている状態ではあるが、これまで習得してきたものの蓄積も増えてきた。新しくオリジナルを作り出すにしても、とりあえず芝居とはなんなのか、というのを探していきたいと思っています。
普久原:待ちの姿勢じゃなくて、自分から何が習いたいのか、教えてほしいのかということを先輩方に直接習いに行く場をつくっていきたい。まず、川満先生(川満聡)と打ち合わせして、5人以上集めて八木先生に「スーヤヌパーパー」を習いに行きます。それができたら素敵だなと思います。
知名:芝居の始まりは組踊、芝居になくてはならないものは琉球舞踊。今はそれぞれ別れてやっていっているが、将来は芝居だけじゃなく組踊や地域の芸能も含めて全てを残せるように関わっていけたら、と思います。
座喜味:共通語としてのウチナーグチの習得を踏まえて、さらに各地域の言葉をきちんと習得して、地域ごとの言葉も表現できたらいい。地域に住む人たちも、ウチナー芝居言葉を楽しみながら、地元の言葉の素晴らしさも感じられる、それも忘れてほしくない。
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北村:今日はこうして話ができてよかった。芝居言葉は習おうという自意識がないといけない。皆さんのなかで学びたいという心があれば、こちらはいつでもどうぞという気持ちです。
八木:沖縄の話芸の歴史は浅い。今活躍している人たちと一緒にできるのは今回が初めてだから期待している。自分でもいろんなものを受け取りたいと考えている。今日もいい話を聞けて、これを吸収したいと思っている。
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栄町の夜は更けてきましたが、沖縄話芸の夜明けは近い!のでしょうか・・・。
今日の続きは、どうぞ2月20日(日)企画公演「話芸~沖縄漫談~」の舞台上でお楽しみください。
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2月企画公演「話芸~沖縄漫談~」ご期待ください
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